Takayanagi Lab.
Research
軽量原子の量子効果研究
原子・分子の世界 <序論>
私たちが普段認識している世界では物質は基本的に古典力学 (ニュートン運動方程式) にしたがって運動します。 例えばボールを坂の上に向かって転がすと、少しの力で転がせばボールは坂道の途中で止まり、やがて転がした人の方に戻ってくるでしょう。 もしくは十分な力を加えて転がせばボールは坂道を登りきり反対側へたどりつくでしょう。 このとき、坂道を登りきれるようなエネルギーでボールを転がさなければ、ボールは必ず坂を越えられずに、もといた場所まで戻ってきます。
ところが原子や分子などのミクロな世界では物質はニュートン運動方程式に従いません。 原子や分子などの非常に小さな世界では物質はシュレディンガー方程式に従い運動します。 すると、原子や分子は坂を越えるエネルギーをもっていなくても坂を越えて反対側にたどりつく可能性があります。 これは非常に小さな世界では物質が波のような性質をもつために起こります。 この現象はトンネル効果と呼ばれていて、みなさんも言葉くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。 実は私たちが認識している世界の物質 (先ほど例にあげたボールなど) も厳密にはシュレディンガー方程式に従って運動しており、 ニュートン運動方程式はシュレディンガー方程式の近似式なのです。
こう書くと、じゃあ私たちが坂が越えられないエネルギーでボールを坂に向かって転がし続けたらいつかボールは反対側にトンネル効果でワープしてしまうの? という疑問がでるかもしれません。しかし実際にはボールはトンネル効果により坂の反対側に行くことはないでしょう。なぜかというとトンネル効果は非常に軽い 物質でないと起こらない(観測できない)現象なのです。どのくらい軽くないといけないかというと、私が研究しているミュオニウム (Mu) という原子の重さはおよそ 0.0000000000000000000018 グラムです。この程度の質量になって初めてトンネル効果が観測できる (影響する) ようになります。
ミュオニウム (Mu) <対象としたもの>
軽い原子というと、みんさんは何を思い浮かべるでしょうか?おそらく多くの方は周期表の一番左上にある水素原子 (H) を思い浮かべるのではないでしょうか。 ところが、私が先ほど書いたミュオニウム (Mu) という原子は水素原子 (H) よりも軽量です。しかし、このミュオニウム (Mu) 実は周期表には載っていません。
なぜ周期表に載っていないかというと、このミュオニウム (Mu) は水素原子 (H) の一種の同位体で (他にも水素には重水素 (D) トリチウム (T) などの同位体があります)、簡単にいえば水素の仲間なのです。 ミュオニウム(Mu)がどんなところにあるかというと自然界には宇宙線の中に少し含まれているだけです。しかもこのミュオニウム (Mu) 0.0000022秒で壊れてしまいます。 そこで化学者が実験をするときはこの粒子を人工的に作ります。作り方は比較的単純で、原子核を加速器で加速してぶつけて壊します。するとそこからミュオニウム (Mu) のもととなる 粒子がでてきてそこからミュオニム(Mu)が生成します。ミュオニウム (Mu) は非常に軽い原子であるため、ミクロな世界で起こるトンネル効果などの影響を 大きく受けます。つまりミュオニウム (Mu) はミクロな世界で起こる現象を研究するのに非常に適しているのです。
どうやって研究してるか? <研究手法>
私たちの研究室では、先ほど書いたように加速器を使って核を衝突させミュオニウム (Mu) を作り研究しているわけではありません。全てコンピュータで計算しているのです。 具体的には、まず化学反応の“地形図”を書きます。簡単にいってしまえば、ボールを転がす坂道の形を計算しておくのです (図1)。“地形図”が完成したらその上でボール (厳密には波の束) を転がことに より、どのような道を通り反応するのか?どのくらいの速度で反応するのか?等を計算します。この方法ならば、実際に実験するだけではわからない反応する途中の様子まで詳細に解析することができます。
どんなことがわかったか <結果>
化学反応の多くは、温度が高いとはやく反応し、低いとゆっくりと反応します。図2は横軸に温度の逆数を1000倍したものをとり、縦軸にどのくらいはやく反応するかを示した図です。この図はアレニウスプロットと呼ばれます。
図中の点は実際にミュオニウム (Mu) を作って反応速度を計測した結果、実線は私たちがコンピュータで計算した値です。実験で測定された 値より少しだけ小さくなっていますが、私たちの計算結果は実験値をよく再現しています。また古典力学の考えではアレニウスプロットは直線になるのですが、この図をみればわかる 通り、直線ではなくかなり曲がった線になっています。これを簡単に言い換えると、本当なら温度が下がれば下がるほど (図の右にいけばいくほど) 反応速度は小さくなる (どんどん下にさがっていく) はずなのに、実際は温度を下げてもたいして遅くならない (線は横ばいになってる)。つまり、温度が低い = エネルギーが小さい = 坂を越えられない はず なのに、トンネル効果により、坂をすり抜けて反応していくため、反応は遅くならないことがこの図からわかります。