Takayanagi Lab.
Research
”H6+”の原子核量子効果を取り入れた分子構造
◆ 水素のみで構成されている分子イオン ”H6+” とは?
気体水素のイオン化によって出来る化学種はほとんどが奇数個の水素原子からなる分子イオン(H2n+1+)ですが,わずかに偶数個の組成をもつ分子イオン(H2n+)も生成します. しかし,1987年にカルフォルニア大学のN.J.KirchnerとM.T.Bowersは,質量分析によって観測した結果,H2n+の中でもn = 6の分子イオン”H6+”が最も多く生成することが分かりました.
◆ H6+ の分子構造って?
「水素原子6個からできている分子」と言われたら,様々な構造が思いつくでしょう.しかし,現実にどのような構造であるのかを予測することは簡単ではありません.J.A.MontgomeryとH.H.Michelsは分子軌道計算を用いて安定構造を予測し,「Cs構造」と「D2d構造」の二つを候補として挙げました. しかし,実際の構造はごく最近まで実験的に分かっていませんでした. 2005年,T.Kumadaらが実験的にH6+の構造について考察をしました.彼らの研究報告には,「電磁波を照射した固体水素のESRスペクトルにH6+のD2d構造に似た構造をしている化学種があることを確認した」,「外側のH2原子核が低温でも自由回転する,面白い構造をとっている」と書かれています.
◆ 温度4K(マイナス270度)でも自由回転している両端のH2
彼らがH6+のESRスペクトルを観測したとき,固体水素の温度は4K(マイナス270度)でした.低温条件においても,分子内における原子核はわずかに揺れていますが,固体水素中のH6+では分子内回転がはっきりと観測されました. 分子内における原子核の振動や回転は,古典力学的に考えるとボール(原子核)が放物線上をゆらゆら動いていることに対応します.しかし,今回注目しているのは水素原子なので,量子力学的な考え方がより重要となります.すなわち,水素原子は「粒子」ではなく「存在確率の波」として考える必要があります.
◆ H6+の分子構造はドーナツ2個!?
原子核を量子力学的に扱うと,ESRスペクトル,分子軌道計算のどちらも説明できる結果が得られました.原子核の分布を三次元で示したのが図です.色が濃いところは原子核の存在確率が高いことを表しています.注目すべきは両端にドーナツのように見える環状分布です.これは両端のH2にあたる分布ですが,観測するタイミングによって,水素原子はこのドーナツの中であれば同程度の確率で見出されることを示しています.また,D2dの構造とD2hの構造とで,分布に10%程度の差があることから,分子構造は対称性としては「D2d」になります.
◆ 簡単な分子でさえ構造が分かっていないなんて・・・
「水素原子6個」という簡単な組成の分子イオンの構造が今まで明らかにされていなかったことに驚いたのではないでしょうか?今回は,原子核量子効果を取り入れた理論計算によって,その独特の分子構造を説明することができました.現代化学においてもまだまだ分からないことはたくさんあります.今後は,「原子核を単なる球としてではなく,存在確率の雲として考える」など,より量子論的に考えることが重要になっていくのかもしれません.