炭素を始めとした第2周期の元素からなる二重結合化合物は古くから知られているが、対応する高周期14族元素を含む二重結合化学種の研究はそれらが極めて不安定であるため立ち遅れていた。しかし、1981年に立体保護を利用して初めて安定なケイ素−ケイ素、ケイ素−炭素二重結合化合物が合成単離されて以来、この分野の化学は急速に発展を遂げた。しかしながら第5周期に位置するスズの系に関しては研究例が少なく、未だに多くの興味ある二重結合化学種の合成研究が未開拓の分野として残されている。また炭素の二価化学種であるカルベンは有機化学上重要な反応中間体としてよく研究されているが、対応する高周期類縁体の研究は第4周期のゲルマニウムの系でとどまっており、スズの系の研究はほとんどなかった。そこで私は第5周期のスズの系に注目し、中でも二価化学種(スタンニレン)、及びケトン類縁体として興味深い16族元素との二重結合に注目し研究を行ってきた。
これら高反応性化学種の不安定の主な要因はその多量化である。このような化学種を安定化するために、立体保護基として筆者が大学・大学院・研究生時代に在籍していた研究室で開発された、2,4,6-トリス[ビス(トリメチルシリル)メチル]フェニル(以下Tbtと略す)基を用いることとした。このTbt基と各種かさ高い置換基をあわせ用いることにより、室温で安定な初めての芳香族置換スタンニレン1の合成に成功し、種々のスペクトル的性質、反応性について明らかにすることができた1),
2)。
またこのスタンニレン1のカルコゲン化及び1,2,3,4,5-テトラカルコゲナスタンノラン2の脱カルコゲン化によって、不安定でこれまでに捕捉例さえ知られていなかったスズ−カルコゲン二重結合化合物3(X=S:
スタンナンチオン; X=Se: スタンナンセロン)を安定に合成することに成功した。特に置換基がTbtと2,2"-ジイソプロピル-m-テルフェニル-2'-イル(Ditp)の場合に3を安定な結晶として単離することに成功し、特にスタンナンセロンに関してはX線構造解析によってケトンと同様にスズ周りの立体が平面構造であることを明らかにした(ORTEP図、Space
Filling Model)2), 3)。
この結果は第5周期のスズにおいてさえ、炭素の系と同様な16族元素との二重結合が構築できることを示しており、14族元素を統一的に理解する上で大変意義深い結果と言える。
またテトラセレナスタンノランに2当量のリン試剤を作用させることによりジセレニラン4を初めて安定に単離し、X線構造解析によりその特異な分子構造を明らかにすることができた(ORTEP図、Space
Filling Model)3a)。
またスタンニレンの反応の研究の一環として二硫化炭素との反応を検討したところ、新規なスズを含むイリド5を経て反応が進行することを見いだした。このイリド5は、各種オレフィンと1,3-双極付加環化反応をすることがわかり、新規スズ化合物の合成反応としても興味がもたれる4)。
References
1) Tokitoh, N.; Saito, M.; Okazaki, R. J. Am. Chem. Soc. 1993,
115,
2065.
2) Saito, M.; Tokitoh, N.; Okazaki, R. Organometallics 1995,
14,
3620.
3) (a) Saito, M.; Tokitoh, N.; Okazaki, R.J. Am. Chem. Soc.
1997,
119, 11124. (b) Saito, M.; Tokitoh, N.; Okazaki, R.
J. Am. Chem. Soc. 2004, 126, 15572.
4) Saito, M.; Tokitoh, N.; Okazaki, R. Organometallics 1995,
14,
3620.